タータンの歴史とデザインとしての可能性

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Kurashiki Tartan

この記事では、スコットランドにおけるタータンの歴史とタータンが持つデザイン性とメッセージ性について紹介しています。

タータンはスコットランドを象徴する柄

タータンはスコットランドの北西部ハイランド地方の伝統的な柄の一種で、異なる縞模様と色合いで構成された格子柄の織物です。

そしてハイランド地方ではタータンが普段着として身につけてられていました。

タータンには地域や一族によってさまざまな模様がありますが、19世紀に民間と国家機関がこれらの織物の保全・登録・管理を行ったことで、タータンはスコットランドを象徴するものとなりました。

英語圏における「チェック」と「タータン」の違い

一般的に日本ではチェックを格子柄の総称と考えますが、英語圏のチェックには2つの意味があります。

一つは「2色の小さな正方形、かつ同じ大きさの正方形で構成された格子柄」、

もう一つは、「正統なタータンでないもの」です。

そのため英語圏では、タータンはどちらのチェックにも当てはまらないものとして、明確に区別されています。

スコットランドにおけるタータンの歴史

 

伝統的な織物から民族的な織物へ

タータンはスコットランドのハイランド地方で発展した織物で、普段着としてタータンを身につけていましたが、18世紀にはハイランド人たちの反逆を恐れた英国政府が「衣類禁止法」を制定し、タータンの着用を禁止した時期があります。

ジェームス7世とその子孫たちが英国にスチュアート朝を再興するためにおこした「ジャコバイトの反乱」において、ジャコバイトがタータンを身につけていたためです。

※「ジャコバイト」とは、

1688年の名誉革命で追放されイングランドからフランスに逃亡した国王で、スチュアート家の血をひくジェイムス7世の王位復帰を支持する人々を指します。
(ジャコバイトは、ジェームスのラテン語名であるヤコブスに由来)

こうして、タータンは実用的、装飾的なハイランド人の衣装から政治的、民族的な意味をもつ織物へと変化しました。

タータンの収集と登録・管理

1778年、スコットランドの貴族たちはハイランド文化を復興するため、民間機関の「ロンドン・ハイランド協会」が設立されました。

この活動は1782年に「衣類禁止法」が撤廃されるとさらに大規模なものとなりました。

クラン・タータン」という言葉が使用されるようになったのはこの頃からでした。

1815年にはタータンの収集とリスト化が始まりました。

また国家機関の「スコットランド紋章院」が設立され、初めてクラン・タータンの認可・登録を行いました。

1963年には「スコティシュ・タータンズ・ソサエティ」が設立され、現存するタータンのリスト化や新たなタータンの申請・登録を行いました。

このように複数の機関が独自に活動を行ってきましたが、2008年の「スコットランド・タータン登録法」により、「スコットランド・タータン登記所」が登録・管理を行うようになりました。

タータンのデザインと可能性

タータンは、それを身につけることで出自や所属を誇れる世界で唯一のファブリックデザインであり、ほとんどの集団は独自のタータンで表現することができます。

また団体や組織のタータンをデザインする際は、意味やメッセージ性が重要ですが、視覚的な魅力とともに魂ともいうべき要素を加えることで、タータンに団体や組織の精神、特質を織り込むことができます。

たとえば、学校の公式の色や精神を表すことのできるタータンは、着る人に帰属意識を生むことから、特に制服に適しているといえます。

今日では、技術の画期的な進歩により「デジタルプリント」が生まれ、これまでになかった鮮明な色彩表現も可能となりました。

参考文献:「タータン 伝統と革新のデザイン」 青幻社発刊 ほか

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